最近の所感

最近はすっかりとロンドンの生活にも慣れてきた。

ある程度有名所も周ったし、きっとロンドンに住んでいる人だってあまり行かないところにも足を運んだという自負が少しはある。

英語だってきっと上達してるはずだ。そもそも受験のためだけに作られた英語で染められた日本人の内の一人である僕には、対面で外国人と話すという度胸が欠落していた。だけどそれもある程度改善はされてきたし、気の利いた言い回しを少しは会話に入れれるようになった。

ただ、僕の心には未だ埋められない空洞のようなものがあって、恐らくそれは僕はどこまで英国文化に触れても英国人ではなくアジア人なんだ、という解決することのない虚しさだった。

言っておくが僕は別に英国人になりたいわけではない。ただ深く知りたいだけだ。

しかし、深く潜ろうとすればするほどその虚しさが時に、西洋風の建物の中で水に垂らされた一滴の油のように僕を孤独にさせることがある。

油は深く水の中に潜ることは出来ない。ただ表面の小さな領域で浮き続けているだけだ。なんだかそんなことを考えていると、僕は果たしてここに居ても意味があるのかなんて考えまで浮かびそうにもなった。

ロンドンにはもはや昔のように白人は大多数を占めていることはなく、沢山の人種が混在している為、きっと夏目漱石が感じたような露骨な違和感はなくなっただろうが、ただそれでもやはり僕はこの不和をいつまでも拭い去れずにいるのだ。

「異文化」、それを心の底で認めてしまうことは時に大きく心に傷を負うことになり、世間はやけに国際化を求めるけど、そこで傷つく人間を想像するのは僕にとっては容易い。それほど人によっては重大な問題になり得ると僕は思う。

 

 

ただその違和感は悪いことだらけでもない。ここに来て逆に僕は日本の良さにより気づきつつある。最近聴いてる曲は70年代日本フォークやフィッシュマンズ、最近だと踊ってばかりの国や折坂悠太なんかの自分が美しいと思う日本語が沢山詰まったものばかりだ。以前はかなり毛嫌いしていた日本語歌詞も、他文化を体験して思うことが沢山増えた。

しきたりなんかも改めて見つめると凄く良くて、侘び寂びから敬語の文化まで、英語だと効率的に削がれたその「余分」の中に美しさが詰まっているなんて段々感じてきた。日本の移民問題なんかも、僕は正直に話すとあまり賛同できなくなった。それはまた別の問題だけど。

僕はここで留学の目的を見誤っていたことに気づく。留学は他文化を知ったり染まったりすることなどではなく、自国の文化を相対的な評価で見つめ直すことにあったのだと。

するとロンドンでの居心地の悪さは別段気にすることでもなく、それはある意味で日本という母国を評価していることになるのではないかという気にもなってくる。居ても良いんだという肯定感も出てくる。

...とまあこんなことを僕は今ギリシャへ向かうローマの飛行場の中で書いている。きっとギリシャに行ってもまたロンドンとは違う居心地の悪さを味わうだろうな。やだなまた惨めな気持ちになったら。でもきちんとこの不快を味わい尽くそうなんても思う。それは新たな日本の、英国の良さに気づいて、潜れないなりに沢山文化を知るために。